カルタゴのキプリアヌス
Cyprian of Carthage
ラテン語 · 宗教・神学 · 神学; 散文・その他文芸 · 助言・訓戒 · 神学; 宗教・神学
13 作品 · 12,629 対訳文
殉教の勧め
Exhortation to Martyrdom本書は、迫害の脅威に直面するキリスト教徒を武装させ、殉教の覚悟を促すために、著者が知人フォルトゥナートゥスに向けて編纂した説教の基礎素材集です。著者は余計な人間的言論を排し、ただ神の言葉である聖書の引用を通じて信徒を励ます方針を採っています。作品の前半では、唯一の神への崇拝と偶像崇拝に対する神の厳しい審判が説かれ、キリストの受難を模範として死を恐れずに信仰を告白すべきことが強調されます。中盤では、信徒が遭遇する迫害は信仰を試す試練であるとされ、歴史上の数々の義人やマカバイの母子らが示した不屈の信仰告白が先例として紹介されます。最終盤では、現世の受難を耐え抜いた者たちに対して、天上で約束されている大いなる報酬が使徒パウロなどの言葉を引用して示されます。地上の苦難を遥かに凌駕する天の国の栄誉を日夜瞑想するよう促し、本書は結ばれます。
宗教・神学12 チャンク · §pr#1–§131,408 対訳文読む →嫉妬と羨望について
On Jealousy and Envy本作は、カルタゴの司教キプリアヌスが信徒に向けて、軽視されがちだが極めて破壊的な悪徳である「妬みと羨み」の危険性を警告し、それを克服するよう説く神学的・倫理的著作です。著者はまず、悪魔が自らの嫉妬によって破滅し、人間をも罠に陥れたことを指摘します。さらに、カインやエサウ、サウルといった聖書における具体例を引きながら、妬みがあらゆる罪や不和の根源であることを論じます。続いて、この悪徳が魂を内側から蝕む暗闇の歩みであることを警告し、信徒に対して謙遜と愛、そして羊のような無垢さを保つよう促します。洗礼によって新しく生まれ変わったキリスト者は、肉的な争いを退け、キリストの天上の姿を身にまとって敵をも愛すべきであると主張されます。最後に著者は、悪魔の誘惑に対抗するために黙想、祈り、善行に励むことを勧め、嫉妬を捨てて愛と平和のうちに神の御前で正しい生活を送るよう呼びかけています。
宗教・神学6 チャンク · §1-3–§16-18658 対訳文読む →死の定めについて
On Mortality本作は、ペストの大流行という未曾有の危機に直面したキリスト教徒に向けて、死への恐怖を克服し信仰を堅持するよう促す勧告の書である。著者は信徒に対し、疫病による患難は神の試練であり、現世の苦難を耐え忍ぶことで信仰と徳が鍛えられると説く。また、キリスト者が異教徒と同様に病に罹る理由を、肉体を持つ人間の普遍的な条件として説明し、ヨブのような忍耐を模範として提示する。死を恐れることは信仰の欠如を示しており、むしろ死とは現世の悪徳や苦痛からの解放であり、永遠の命へと至る喜ばしい移行であるとされる。最後に著者は、先立っていった人々を過度に哀悼することを戒め、天上の楽園で待つ先祖や聖徒たちとの栄光に満ちた再会を期して、死の恐怖を乗り越えるよう力強く鼓舞している。
宗教・神学8 チャンク · §1-3–§24-26810 対訳文読む →処女の規律と服装について
On the Discipline and Habit of Virgins本作は、キリスト教の聖職者キプリアヌスが、教会において尊ばれる処女たちに向けて執筆した道徳的かつ宗教的な勧告の書です。著者はまず、信仰生活における規律(ディシプリーナ)の重要性を強調し、処女たちが自らの肉体と霊を神殿として清く保つよう促します。続いて、地上の富に甘んじて華美な衣装や宝石で身を飾ることの愚かさを説き、富は虚栄のためではなく慈善活動に用いるべきであると主張します。さらに、化粧や身体改造は神の創造に対する冒涜であり、世俗の不道徳な宴会や混浴の浴場へ出入りすることは純潔を汚す行為であると厳しく戒めます。最終的に著者は、処女たちが世俗の誘惑を退けて天の天使と同等の存在として生きるよう励まし、天上の豊かな報酬を目指して互いに模範を示し合うことを求めて本作を締めくくります。
宗教・神学8 チャンク · §1-3–§22-24938 対訳文読む →忍耐の善について
On the Good of Patience本作は、キリスト者にとって信仰生活の基盤となる「忍耐」の重要性を説いた神学的論考です。著者は、世俗の哲学者が誇示する偽りの忍耐を排し、神に起源を持つ真の忍耐こそが信者にとって不可欠な美徳であることを主張します。議論はまず、人類に悔い改めの猶予を与える神の慈悲や、キリストが受肉から十字架の死に至るまで体現した無辺の忍耐という、至高の模範を提示することから始まります。続いて、アダムの原罪以来の苦難に満ちたこの世の生において、迫害や肉体の脆さに抗い、愛(カリタス)と教会の団結を保つために忍耐がいかに不可欠な防壁として機能するかが説かれます。最後に、不忍耐がもたらす破滅を聖書の歴史から警告しつつ、信者たちに対して、自ら復讐を急ぐことなく、終末における神の公正な裁きを忍耐強く待ち望むよう勧告して本作は締めくくられます。
宗教・神学9 チャンク · §1-3–§22-24894 対訳文読む →棄教者について
On the Lapsed本書は、迫害が終息した後のキリスト教会において、信仰を捨ててしまった「背教者(ラプシ)」の処遇をめぐる深刻な問題を扱った神学・規律論の書です。著者はまず、信仰を守り抜いた者たちを称賛しつつ、危機の原因が信者の世俗化と規律の喪失に対する神の試練にあったと指摘します。そして、拷問に屈した者とは異なり、財産への執着などから安易に偶像礼拝に及んだ者たちを厳しく告発します。さらに、十分な悔い改めを経ずに安易な教会復帰を求めることの危険性を警告し、罪の許しは殉教者の嘆願によるのではなく、主のみに属するものであると論じます。最後に著者は、嘘の証明書で罪を免れようとした者にも神の審判が及ぶことを実例を交えて示し、全き悔い改めと善業に励むことこそが神の慈悲を得る唯一の道であると訴えて結びます。
宗教・神学12 チャンク · §1-3–§35-361,389 対訳文読む →主の祈りについて
On the Lord's Prayer本書は、キリストが自ら授けた「主の祈り」について、その深い神学的意義と信徒が祈るべき態度を解説した信仰の指導書です。著者はまず、祈りが個人的な利益ではなく共同体の一致と平和のために捧げられる「公共の祈り」であるべきだと説き、謙虚で静粛な態度を求めます。続いて、「天におられる私たちの父よ」から始まる各請願を順に釈義し、日々の聖化、霊と肉体の調和、富への執着からの解放、そして他者を許すことによる和解の重要性を論じます。さらに、主の祈りが律法と預言の本質を簡潔に要約したものであることを示します。後半では、キリストの模範に倣って雑念を払い、施しや断食などの善行を伴わせながら、朝夕や日中の定められた時間に絶えず祈るという実践的な生活態度を提示して結びます。
宗教・神学12 チャンク · §1-4–§35-361,353 対訳文読む →カトリック教会の一致について
On the Unity of the Catholic Churchカルタゴの司教キプリアヌスによる本作は、キリスト教会の絶対的な統一性(合一)と、分裂や異端の危険性を説く神学的論説です。著者は、キリストがペトロの上に教会の基礎を置いたことを示し、司教職の不可分性と教会の唯一性を、三位一体の結合やキリストの縫い目のない上着といった聖書の象徴を用いて論証します。特に「教会の外に救いはない」という基本原則を強調し、教会から離脱した者が行う洗礼や祈り、さらには命を捧げる殉教行為であっても、合一の愛を欠く限りは救いをもたらさないと厳しく警告します。また、たとえ過酷な迫害を耐え抜いた「告白者」であっても、後に分裂を先導するならばその罪は重く、神の罰を免れないことを旧約聖書の例を引いて説明します。最後に著者は、初代教会の熱烈な信仰と連帯を称賛しつつ、当時の信仰の衰退を嘆き、信徒たちが不和を避けて平和のうちに結束し、主の再臨に備えて神の掟を守り抜くよう強く鼓舞して本作を結んでいます。
宗教・神学10 チャンク · §1-3–§24-271,155 対訳文読む →善行と施しについて
On Works and Alms本作は、洗礼後に犯した罪を清めるための神聖な治療薬として「施し」の重要性を説き、信徒たちにその実践を強く促すキリスト教論説です。著者は、旧新約聖書における預言者や使徒たちの数々の例証や奇跡を引用し、施しという善行が罪を贖い、肉体の死さえも克服する偉大な力を持つことを示します。さらに、施しによって貧困に陥るという恐れや、子供の養育を理由に施しを拒む富裕な信徒たちの言い訳を、聖書の未亡人たちの自己犠牲を模範として挙げることで論破していきます。また、異邦人が世俗の虚しい見せ物に財を投じるのに対し、信徒がキリストへの施しを惜しむ姿勢を厳しく告発し、最後の審判における救いの条件としての善行を強調します。最終的に本作は、初代教会の財産共有の精神と神の公平な秩序に立ち返り、天上の永遠の栄光を目指して弛まず施しに励むよう呼びかけて結ばれます。
宗教・神学10 チャンク · §1-3–§25-261,044 対訳文読む →偶像は神ではないこと
That Idols are Not Gods本作は、異教の神々が本来は人間であったことを論じ、キリスト教の唯一神とキリストによる救済の真理を提示するキリスト教護教論の著作です。まず、ギリシア・ローマの神々はかつて実在した人間にすぎず、死後に神格化されたものであるというエウヘメリズム(Euhemerism)の視点から異教の信仰を批判します。次に、ローマの繁栄が道徳的な正しさではなく運命によるものであり、異教の神々や託宣の実体は人間を惑わす悪霊であると暴露します。その上で、宇宙を統治する神は唯一存在し、かつて特権を失ったユダヤ人に代わり、人類の救済者として神のロゴスであるキリストが遣わされたことを説きます。最後に、キリストの受難、復活、そして弟子たちが苦難に耐えながら全世界へ救いの約束を伝えていった歴史を概観し、キリスト教の真実性を力強く主張して結ばれます。
宗教・神学4 チャンク · §1-4–§12-15450 対訳文読む →87人の司教の決議
The Sentences of the Eighty-Seven Bishops本作は、3世紀半ばにカルタゴで開催された教会会議において、異端者や分裂者が授ける洗礼の有効性をめぐって議論された87人の司教たちの公式な意見表明を記録した文書です。会議を主導するキプリアヌス(Cyprianus)が、各司教の自律性を重んじながら意見表明を促すことで議論が始まります。続いて、司教たちが次々と発言し、カトリック教会の外には唯一の本物の洗礼が存在し得ないことを、聖書の文言や独自の論拠を用いて主張します。彼らは、異端から改宗して教会に帰入する者たちに対して洗礼を施すことは「再洗礼」ではなく、不完全な儀式を排した「唯一の真なる洗礼」の付与であると位置づけます。各司教は、異端者の洗礼を認めることがもたらす教会の不純化への警戒を強く表明します。最後に、発起人であるキプリアヌスが自身の見解を改めて示して議論を締めくくり、教会の一致と正統な洗礼の原則が確認されます。
宗教・神学8 チャンク · §pr-4–§73-87875 対訳文読む →デメトリアヌスへ
To Demetrian本作は、3世紀中葉のキリスト教指導者キプリアヌスが、天変地異や疫病の責任をキリスト教徒に帰して敵視する異教徒デメトリアヌスに対し、キリスト教の正当性を主張する護教論的な書簡です。著者は、世の様々な衰退や災厄がキリスト教のせいではなく、世界そのものの老化という自然な法則や、真の神を敬わない偶像崇拝者に対する神の怒りの現れであることを論じます。さらに、キリスト教徒に対する理不尽な迫害の矛盾を告発しつつ、キリスト教徒が苦難を耐え抜くのは神の報復と来世の救いを確信しているからだと説明します。最後に、最後の審判で不信仰者が直面する永遠の刑罰を警告し、猶予がある現世において真の神へと回心しキリストの不死の恩恵を求めるよう強く促して結ばれます。
宗教・神学9 チャンク · §1-3–§24-26959 対訳文読む →ドナトゥスへ
To Donatus本書は、著者キプリアヌスが友人ドナトゥスに宛て、自身のキリスト教への回心体験と世俗の虚しさを対比させながら、キリスト教的生がもたらす霊的な救いを説く書簡です。著者はまず、洗礼を受ける前には不可能に思えた自身の劇的な内的再生と、神の恵みの偉大さを語ります。次いで、高い山から見下ろすように俗世を観察し、戦争や剣闘士の残忍な闘技、法廷の腐敗、そして人々が追い求める富や権力が実際には魂を蝕む毒であることを鋭く告発します。最後に、世俗の嵐から離れたキリスト教徒が享受する真の平和を示し、絶えざる祈りと読書、そして神への賛美のうちに霊的な宴を共にしようと呼びかけて締めくくっています。
宗教・神学6 チャンク · §1-3–§14-16696 対訳文読む →

