アレクサンドリアのフィロン
Philo of Alexandria
ギリシア語 · 歴史・地理 · 歴史叙述; 宗教・神学 · 護教論・異端論駁 · 宗教・神学
4 作品 · 3,669 対訳文
フラックスへの抗弁
Against Flaccus本作は、ローマ帝国属州エジプトの総督アウィリウス・フラックスによるユダヤ人迫害と、その後に彼を襲う没落の顛末を描いた歴史的叙述です。当初は優れた統治を行っていたフラックスですが、皇帝の交代による地位の動揺から地元の煽動者と結託し、アレクサンドリアのユダヤ人に対して凄惨な迫害を開始します。会堂の冒涜や市民権の剥奪、略奪や虐殺へと暴走する彼に対し、やがて神の「正義」による報復が下ります。突如逮捕されたフラックスは、流刑地のアンドロス島でかつての栄華との落差に絶望し、最後は刺客の手によって凄惨な死を遂げます。一人の統治者の栄枯盛衰を通じて、虐げられた人々を守護する神の絶対的な正義を示す結末となっています。
歴史・地理18 チャンク · §1-9–§179-1911,570 対訳文読む →酔い覚めについて
On Sobriety本書は、創世記におけるノアの泥酔と覚醒の記述を出発点とし、魂の「しらふ(素面)」な状態がもたらす徳を追究する、アレクサンドリアのフィロンによる宗教・哲学的な寓意的注解書です。前半では、聖書に登場する「幼子」や「長老」といった言葉が、肉体的な年齢ではなく魂の不完全さや道徳的な成熟を象徴していることを、アブラハムやヨセフなどの事例から論証します。中盤では、ノアがハムではなく孫のカナアンを呪った理由を解き明かすため、「状態(習慣)」と「運動(活動)」という哲学的な概念を導入し、活動を伴う悪徳こそが非難に値することを示します。終盤では、ノアによるセムとヤフェトへの祝福を巡り、身体的・外的な善の広がりと、美徳のみを善とする純粋な知性への回帰を寓意的に解釈します。聖書テキストの象徴的読解を通じて、魂が目指すべき真の賢明さと神との結びつきを照らし出す作品です。
宗教・神学7 チャンク · §1-8–§60-69733 対訳文読む →観想的生活について
On the Contemplative Life本作は、世俗を離れて神の観照に身を捧げるユダヤ教の修行共同体「セラペウタイ(テラペウタイ)」の生活を描いた宗教的論考です。著者はまず、世俗の誤った信仰形態を批判した上で、財産を放棄してアレクサンドリア近郊のマレイア湖畔で共同生活を送る彼らの超俗的な生き方を紹介します。彼らは質素な住居に「セムネイオン」と呼ばれる神聖な小部屋を設け、日々の祈りや聖書の比喩的解釈、賛歌の創作に励みます。作品の中盤では、世俗の退廃的な宴会や古典ギリシアの饗宴の不道徳さが批判され、それらと対比する形でセラペウタイの清らかな饗宴が詳細に描かれます。五十日目の祝祭に集まった彼らは、肉やワインを避け、パンと塩、水のみの質素な食事をとり、聖書の講話に耳を傾けます。最後は、男女が一つになって歌う徹夜の聖なる合唱と、朝を迎えて日の出に祈りを捧げ、再び日常の哲学へと戻る静粛な姿をもって締めくくられます。
宗教・神学9 チャンク · §1-9–§81-90756 対訳文読む →巨人について
On the Giants本作は、アレクサンドリアのフィロンが旧約聖書の『創世記』第6章に登場する「巨人(ギガス)」や「神の霊」に関する記述を独自の哲学的方法で解釈した神学・倫理的著作です。冒頭で、著者は創世記に語られる「御使い」を空中にある魂と同一視し、魂と肉体の関係や、宇宙における魂の存在の必然性を論じます。中盤では、肉体の欲望や快楽が魂の上昇を阻み、神の霊が人間に永続的に留まるのを妨げる最大の障害となることを警告し、外面的な富や名声に惑わされず理性を保つことの重要性を説きます。さらに、聖書に見られる巨人の存在を神話ではなく比喩として捉え直し、人間を「地の人」「天の人」「神の人」の三つのカテゴリーに分類します。最終的に著者は、世俗の欲望に溺れる悪人と、不動の神の傍らに留まり知恵を追求する善人との本質的な違いを明らかにし、肉体を克服して神の傍らへと魂を至らせる倫理的な生のあり方を指し示しています。
宗教・神学7 チャンク · §1-11–§60-67610 対訳文読む →

